人が命を失うのと
心を失うのと
どちらがより、残酷なのだろうか
◇
救命室に運び込まれた次元の心臓は途切れ途切れに
細い電気を機械に走らせるが
ほぼ絶命に近く、回復の見込みは０％に近かった。
医者達が怒鳴りあいながら病室を走り抜ける。
珍しくパニックに陥っているルパンを
五右ェ門は平手で張ってその背を支えた。
次元と何か会話を交わしたのかと訊くが
ルパンはそれには答えようとしなかった。
ソファーで震えるルパンの肩を抱きしめ
五右ェ門は大丈夫だ、と繰り返した。
この、いつもクールで時に残酷にさえみえる男が今は
何と弱々しく見える事だろう。
肩を抱いた五右ェ門はその華奢な骨格に驚いた。
大きな背広の内側で
その空間をもてあまし、細い肩が揺れていた。
男の片手にすっぽりと包み込まれる程小さい。
次元はいつも、こんな肩を抱いていたのか。
いきり立ってルパンの無茶に怒り
身体を投げ出してもルパンの身を守る。
五右ェ門には次元の気持ちが、初めて理解出来たように思えた。
「・・・次元・・・次元・・・・」
胸元から時折漏れる囁きに五右ェ門はうつむいた。
ルパンが五右ェ門の胸に顔を押し付け、袂の陰に声を殺している。
五右ェ門はルパンの頭を腕に抱え込み
大丈夫だから
ともう一度、強く応えた。
それは、自分にも言い聞かせるように。
もし、これから今までとは違うルパンとの関係が訪れても
次元を悔やませる事はしまいという、誓いにも似ていた。
幾夜をも越えた。
手術室の前の慌ただしさが消え、ゆっくりとドアが開いた。
五右ェ門は医者に呼ばれた。
疲れ切ったルパンを慰めるようにして立ち上がった五右ェ門は
決断をせまる医者の宣告に眉をひそめた。
命は取り留めました。
しかし
彼には、意識がありません。
脳波には異常はないのですが、昏睡したまま意識が戻らないのです。
いつ、意識が戻るか、何年先になるか、あるいは戻らないかもしれません。
戻っても記憶を失っている可能性があります。
延命させるかどうか、これから先の事を話し合っていて下さい。
植物人間ではないが、それに近い状態だという。
五右ェ門は躊躇しつつも、ルパンにそれを切り出した。
しかしルパンは表情を明るくさせると、きっぱりと言い切った。
さすが、オレの相棒だ。次元が逝くなんて許してやんない。
―――――意識が戻るかどうか、判らんのだぞ―――――
でも、生きてるんでしょ。
あまりにも真直ぐなルパンの眼差しに、五右ェ門は思わず怯む。
待つよ。ずっと側にいる。いつまでも。
今までだって俺たちは、そうやって生きてきたんだ。
◇
それから毎日。
ルパンは病室で眠り続ける次元に話しかけた。
聴きたい音楽はないかと聞いては勝手に
ジャズやクラシックのＣＤを買ってくる。
お前、こんな退屈なのが好きなのと欠伸をこらえて
ロックの方がいいのにと愚痴ってみせる。
枕元に椅子を寄せ、その日あった事を身振り手振り
時に五右ェ門を交えては独りで受け答えして笑っている。
そんなルパンに五右ェ門はやがて不安を覚え始めていた。
半年が過ぎ、１年も過ぎた頃。
相変わらず次元に話しかけているルパンに、五右ェ門は意を決して切り出す。
もしこのまま次元の意識が戻らなかったら、お主はどうするつもりだ。
人形みたいに生き続ける事が、果たして次元の為なのか。
それを聞いたルパンは烈火の如く怒った。
次元は今までオレが嫌がるのもきかずに、いつも代わりに銃弾を受けてきた。
だが、死にはしなかった。
そんな悪運の強い奴の命を、そう簡単に諦めてたまるか。
２年が過ぎた。
ある日五右ェ門は病室の前で、いつもよりはやや高い声を耳にした。
部屋を覗くと、ルパンが次元に話しかけていた。
最近、急に寒くなったと身体を気遣いながら
毛布を次元の首の周りに掛けてやったり枕の癖を直したりしている。
長年連れ添った妻のようだと、五右ェ門は目を細めてそれを見やる。
ドアの側に立っている侍に気付いたルパンは青ざめた。
低い男の声で「聞いたのか」と問う。
いや。
五右ェ門はかぶりを振った。
土産だ、と果実の入った袋を手渡す。
お主もあまり無理するなよ、と五右ェ門は其処を後にする。
そして心の中だけでこう思う。
何度かその女の声は聞いた事がある。
お主の悲鳴や、寝言葉の中に。
しかし、そのようなこと。たいした事ではない。
更に季節は過ぎた。
新聞やニュースにはルパンの欲しがりそうな美術品や財宝の記事が幾度も躍った。
だが、ルパンはその間も眠り続ける次元に話しかけていた。
毎日、毎日。
自分を忘れないでいてくれるように。
銭形はルパンの盗みがプツリと途絶えた事を不思議がった。
マスコミはルパンと次元の行く末を知りたがった。
金さえ握らせればルパン一味の情報を引出せるという
裏切屋の女の元に出向いた男もいた。
だがその女は積まれた札束を床に撒き散らし、出て行ったという。
五右ェ門は二人を狙う殺し屋達を次々と剣で裂いた。
常にスキャンダルを求める世間では既にルパン達の話題は風化しつつあった。
５年経った。
花屋には春の花が一斉に咲き並び、ルパンは次元の好きな赤系統の花を選んで買った。
部屋に着くと今日も次元は眠っていた。
外はすごくあったかで気持ちいいよ、とルパンは次元に話しかける。
病室の窓を開けると桜の匂いがした。
花瓶の花を取り替えながらルパンは聞く。
午後から街に出るけど、何か欲しいもんはない？
ラジオつけとこっか。聴きたい番組ある？
「ルパン、煙草はねえか」
その懐かしい声にルパンの手が止まった。
「煙草が吸いたい」
ベッドの上の次元の眼がルパンを映していた。
「あ、ああ・・・・」
いつでも意識が取り戻せたら差し出せるよう用意しておいたペルメル。
ルパンは引き出しを開けると一本取り出し、次元の口元に挿した。
「湿気ってるなあ。古いんじゃないのか、これ」
「うるせいやい。大体、朝寝坊にも程があらあ」
そこまで言うとルパンの咽喉は詰まった。
唇を動かすが、声にならない。
瞼が熱くなり、視界が水のようにぼやけた。
次元の目線に膝を曲げると、大きな暖かい手の平が頬の雫を掬ってくれた。
ルパンはベッドの毛布に顔を埋めた。
人に悪魔と呼ばれている彼は、幼な子のように激しく泣いた。
次元の大きな手はそのままルパンの髪に伝い、何度も柔らかに往復を繰り返した。
二人の会話に誘われて病室の前で見張りをしていた五右ェ門が入ってきた。
通りすがりの看護士はベッドの上の目覚めた男に、大急ぎで院長室へと飛んだ。
――――そして又、生と死の狭間に男達は帰ってゆく――――
イエローのベンツＳＳＫの前で侍は
笠を差し、腰に剣を収めて車に隣同士に並んで座っているルパンと次元を見ていた。
「旅に出るのか」
友との再会を惜しむ次元に五右ェ門は「さよう」とだけ答える。
「修行じゃねえの？」
いつもの軽口に戻りからかうルパンに、それには答えず
五右ェ門は笑って背を向けた。
――――ただ、野暮かと思うだけだ――――
次元が意識を取り戻す前と今と、ルパンとの関係が変わったとは思わない。
変わったのは今まで幾度となくまさかと思い、その都度否定してきた「ある疑念」が
どうやら間違いではなさそうだと判ったことだ。
だからといって、それをルパンに問うまでもない。
恐らくそれはルパン帝国で王の名を継ぐ者だけに与えられた
誇りであり、宿命なのだろうから・・・・・。
夕日を浴びた道路はオレンジ色に輝き
二人を乗せたＳＳＫは西の国境を目指して走り続けた。
ハンドルを片手にルパンは隣で寝そべる次元に聞く。
「なあ次元、覚えてるか？」
「何をだ」
「お前が死に損なった時の最期のセリフ」
「さあてな。そのうち思い出すかもしれねえ」
「知ってた？ルパン帝国の秘密を知った者は殺さなきゃなんね――って」
「じゃ、いつでも殺しな。待っててやるよ」
「ほんじゃあ、オレの側にこれからもズ――ッといてくんなきゃ駄目だ」
次元は帽子のツバを深く曲げると、頬をほころばせた。
ルパンはスピードをあげた。
――――でも、そんな心配ないよ。お前に限っては――――
だって、オレの最期の言葉はお前への告白だって決めてるんだもん。
だから
オレより先に逝かないで。
元ネタは「レナードの朝」。映画とはストーリーもオチもだいぶ違いますが、目覚めない人を信じて待ち続けるってどんな気持ちだろうと思ったのです。この設定のルパンはルパン帝国の掟で秘密を知る者は殺さなければなりません。ルパンも次元も死に急いでる訳ではなく、相手に生きていて欲しいだけなんです。だからルパンちゃんは恋心を一生隠してでも次元に生きていて欲しいと望んでいます。５年後に次元が目覚めるというのは、旧ルパンから新ルパンになるまでの空白の期間と同じです。その間こういう事があったんだよーーと妄想すると、公式がより醗酵して楽しめるのではないかと思います(笑)そうすれば新ルパンで急にルパンちゃんが可愛子ちゃんになったり、次元が男らしくなったり、五右ェ門が優しくなったりしたのも納得出来ると思いませんか？＾＾ 2005.4.25
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逝かないで〔後編〕
